ねっこのにっき。

思考の置き場所。

日本人の歌の聞き方

 

どうも、今日の日記です。

 

日記なんか日記っていうの違う気がしてきたから名前を変えようか

日記というよりもココは日々の思考の置き場所でそれって日記なのか?それが日記なのか

 

しっくりくる言葉なんかないかなぁっ!

 

はい!

前回、山下達郎さんのお話を聞く中でうひゃーと思ったことを書きました!

今日はそのお話にちょっと関連のある別のことを。

 

 

(書き終わった私より、結構長くなってしまいましたので、お暇な方だけどうぞ…( ◜ᴗ◝))

 

 

山下達郎さんが、曲を作る上でのリズムの付け方やらなんだかんだという話の中で、

「日本は国語教育を徹底するから…()…だから音楽の70%は詞。"この詞はイイね""この曲はイイね"と同義」

と仰っていた部分がありまして。

 

日本人の多くは、音楽の評価基準が専ら「歌詞とメロディ」であって、リズムやグルーヴといった部分の良さは蔑ろにされがちなんだそうです。

 

この事は私自身もそうだなと思っていて、

いくつか前の日記に「現代の日本の若者は""じゃなくて""が聞きたい人が多いんだ」なんて書いてもいました。

 

じゃあそれはなんでなんだろうかというところ。

ずーっとぼんやり疑問に思ってはいたので、

この事について、昨日ちょっと腰を据えて考えてみたのです。

 

考えた中でそれっぽい答えが見つかったような気がするので、今回はそれをつらつらと書いていきます。

 

 

まず山下達郎さんのお話から考えるに、

2022年になってからの話ではなく、1970年代ごろから現代に至るまで、

この「歌ありき」の評価基準があまり変わってないということになりますよね。

 

音楽ファンならいざ知らず、お茶の間の人間やミーハーと呼ばれる人たちの多くが歌の部分でその曲が好きかどうかを判断している、それは今に始まった事ではないようです。

 

時代がこれだけ進んで、音楽の作り手側の事情には変化があったにも関わらず、聞き手側のこの基準がさほど変わっていない。

そういうことであればコレは最早、

私たち日本人の根っこの根っこに染み付いた何かに原因があるんじゃないかと思いました。

 

 

そこで、

日本の音楽の歴史をちょっと遡ってみることにしました。

 

日本に古くからある「音楽」というよりも「歌」といえば?

日本風の文化が完成された時期、私たち日本人の美意識が構築された平安時代の頃に注目すると、

俳句や短歌といった「和歌」が思い浮かびます。

 

ここが、この「和歌」に対する姿勢が、

今の日本人の音楽へ価値観の始まりなんじゃないかと思ったんです。

 

 

この当時、音楽といえば和歌以外にも、器楽やわらべ歌などなんかももちろん存在していますが、

それはおそらく現代で言うとそれぞれ「BGM」や「童謡」だとかに分類されるものであって、

「歌謡曲」や「J-pop」などの大衆音楽のルーツからは少し逸れるのではないかと思います。

 

形態こそ違えど、今と昔で「歌」と呼ばれるもの同士、日本人の意識の中で"ポップミュージックの先祖"になるのは「和歌」だと考えてもいいんじゃないかなぁ、と。

 

そしてこの和歌、

(百人一首の札読みを想像すると分かりやすいと思うのですが)

この部類の歌って、音にするとリズムもメロディも、かっちり決まった一定のものになっていて、作り手による個性などないんですよね。

というかあれをメロディ・リズムと表現していいのかも危ういぐらいです。

 

そんな和歌の評価基準は「題材」や「表現技法」といった歌の"言葉"の部分でした。

この基準こそが今の日本人の価値観の原点であって、

昔から、日本人にとって「歌」と呼ばれるものは「内容を味わって楽しむもの」だったんでしょう。

 

それで今の日本人も楽曲の歌詞を聞きがちになってるんじゃないか、っていう。

 

これが大体の答えですが、この話を元として、

それに加えていくつか補足的に考えてたこともありまして。

歌詞を重視しがちであること以外にも、

リズムやビートがいかにお洒落で、グルーヴが感じられる!ということへの価値が日本人の中で見出されにくかったのは、ずーっと同じ型を使って「言葉遊び」をしていた日本人は「リズム遊び」をする習慣がなかったからなんじゃないかなぁとか。

 

あと、ちょっと違う視点ですが、

日本語は基本的に一子音+一母音、1文字1モーラ(1)なので、細かいリズムが作り出しにくいからかな、とも思います。

文字数=拍であって、しかも全部表拍の音。

日本語自体がものすごくリズム遊びに向いていない気がしました。

 

それで、日本人はリズムやビートを工夫するっていうことへの関心が長年薄いままで、

そういう部分が重視されにくいんじゃないかって。

 

それに比べて、多くの外国語、具体的に英語を取り上げて考えると、

子音と子音が隣り合わせにできるので言葉自体のリズムが細かいのがそもそもだし、さらに言葉を連ねるとリンキングで音数を変えられて、言葉の重ね方でリズムが変わったりするので、

そっちの文化では言葉遊びがリズム遊びに直結したんじゃないかとか。

 

とか。

 

細々色々な要因もあるんだろうなぁ…って!!んが!本当にめっちゃ長々!!書くのに夢中になってたら電車乗り過ごしました。(    )

 

 

まぁ、なんでしょう。

グローバルな今の時代、だんだん日本人も洋のリズムに慣れてきてるんじゃないかとも勝手に思ってるので、

徐々にこの価値観も中和されていくような気もしますね。(?)

 

では今日はこの辺で

 

またいつかm(_ _)m