ねっこのにっき。

思考の置き場所。

鯨のはなし。

 

どうも!

最近ドラムが叩きたくてうずうずしてるワタクシです。こんなに叩きたい気持ちは大きいのですが、出不精と金欠のコンボが勝ってて、スタジオに行くには至ってません。基礎練でもしてろって感じですかね。か、自宅ゴミドラマーに転職するか。サクマ式ドロップス買ってこようかな。

あ、何かコピーして楽譜作ってもいいな。

 

そういえば日記が途絶えてた間は、更新こそできてなかったものの、書きたいと思う気持ちと話題は依然山積みだったんですよね。面倒になったからもう書くの辞めようって感じは少しもありませんでした。だからこそ逆に書けてなくてもしゃもしゃした気持ちでしたが。

 

さぁでは、その山積みの中から本日も、おひとつ。

今回はすっかり書き方を忘れてしまったこのブログ日記のリハビリ超大作編、この前言っていた記事です!(やっとできた!)

 

とてつもなく長めに話してしまうと思いますので、お時間ある方だけお付き合いいただければ幸いです。笑

 

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突然ですが、皆さんは「世界でもっとも孤独なクジラ」の話ってご存知でしょうか。

何だそれ、って方のために概要だけザッとご説明しますので、知ってるよぃって方は1ブロック下までスルーッとどうぞ。

 

1990年ごろの話。ある時、52Hzという異常に高いクジラの鳴き声が観測されるも、その声の発生源となる個体の姿は長年かけても確認できないままという出来事がありました。姿こそ見えないものの、観測した音紋は確かにクジラのものであるとされるその個体は、高すぎる鳴き声のせいで他のクジラとコミュニケーションが取れないがゆえに、どの群れにも入れずたった1匹で、この広い海の中、自分の声を聞き取ってくれる仲間を探して旅しているのではないか、という話から「世界でもっとも孤独なクジラ」と呼ばれるようになったのだそうです。声の主の姿を発見したものに報奨金が出るなどの発表もあり、研究者をはじめ世界中の多くの人々の間で話題を集めたようでした。

詳しく知りたい方は「世界でもっとも孤独なクジラ」や「52Hzのクジラ」と検索すれば色々情報が出てきますので、ぜひ。

 

タイトルも含めなんだ今日はクジラの話か?って感じの流れですが違います。そうなんですが、違います。すみません(?)

この話もどこか神秘的で切なくて好きなので、何かしら書けそうではあるんですが、私がこの話を知ったのはとある曲がきっかけで、今回書きたかったのはその曲についての方になります。

そしてその曲とは、お察しの方もいると思いますが、こちらになります。

 

Mrs. GREEN APPLEの「鯨の唄」。

 

セルフタイトルを冠した2ndアルバム"Mrs. GREEN APPLE"(2017)6番目に収録されているこの曲は、「世界でもっとも孤独なクジラ」の話をモチーフにした楽曲だと言われています。

個人的にこの曲は、(はっきり順位なんて付けられはしないのはもちろんなんですが、)ミセスの全楽曲好き度ランキングでもかなり上位に食い込んでくるぐらい好きです。高校生の時に出逢って、その美しさと歌詞に惹かれて、この人たち素敵だなぁと思っていましたから、ミセスにハマるきっかけになった曲の1つでもあるんですよね。たくさん聞いてきましたし、もちろん今でもよく聞きます。

何度も何度も聞き、触れる中で私が感じたこの曲の魅力についてお話ししたいなぁと思っております。その話を通してミセスや大森さんのことを少しでも知っていただけたりしたら嬉しいです。

ではやっと本題へ。

 

あ、

お話しする前に曲を聞いていただけると、読みやすい、分かりやすいのかなと思います。

知ってるよ、聞いたことあるよって方も改めて聞いていただければ。

↓↓どうぞ↓↓

鯨の唄 /Mrs.GREEN APPLE_on Spotify

 

↓↓こちらも置いておきます↓↓

鯨の唄 MV @YouTube

 

 

 

お聞きいただけましたでしょうか。

本当に本当に美しい楽曲なんですよね。

 

さて、私も鯨の唄の素晴らしさが再認識できたところで、(聞いてきました。笑)

まずは歌詞についてざっくりお話ししていきます。

↓↓あ、歌詞もよければどうぞ↓↓

鯨の唄 歌詞|歌ネット

 

先ほどお話しした通りこの楽曲は、世界でもっとも孤独なクジラがモチーフになっています。タイトルや「水しぶき」という言葉、「どうやって僕の居場所に気づかせよう」「叫んでいるのを 誰かがきっと見ているから」などのフレーズから伺えますね。

そんなこの曲の歌詞に込められたメッセージ、こんな感じなんじゃないかなと私は思っています。

"どれだけ孤独な状況でも、理解者は必ずどこかにいるから、自分を信じて、自分を貫いて生きて"

大なり小なり、周囲とのズレを感じた時に、そこから生じる寄る辺なさや、

誰かに伝わってほしい・分かってほしい気持ちとそうでない現状とのギャップ、

心無い否定で崩れた自分の一部分を、あのクジラが感じていただろう孤独に準えてあって、

だけど、彼がたった1匹でも仲間を探して自身の声で鳴き続けていたように、挫けないで、折れないで、自分を信じて進んでいけば、きっとどこかにいる誰かには解ってもらえる、きっと___。

そんな願いのようなものが、この曲の中に在るのかなと。

今は孤独だと感じてしまっていても、それでも大丈夫と、寄り添いながらも力強く励ましてくれる、そんな詞だなと思います。

 

大森さんの書く詞は彼自身の葛藤を救うためのものでもあり、同時に、聞く人にとっても救いとなるものが多いです。もちろん、かく言う私も救われた身で、何度も気付かされ、何度も力をもらいました。この曲に限らず何度も。

本当に辛くてどうしようもない時だって、少なくともこの「鯨の唄」を聞いている間は、曲を通して大森さんが抱いていた心情に触れることができて、それを自分とほんの僅かに(…その僅かでも烏滸がましいほどで、それも百も承知ですが、)重ねていられるので、「あぁ自分は本当に孤独なわけではないんだな」と思えるんですよね。

 

そして、別段に孤独や辛さを感じていない時でもシンプルに曲の良さに心を打たれてしまうので、もうずるいですね、この曲は。

 

12番まで、もがきながら前を向いていた必死な様子から、大サビで一気に視界が開けて全て浄化されていくような展開・構成、(落ちサビあるのも最高ですよね)

詞と120%マッチした表現力、そしてあの高さの音をあれだけ力強く発せられる(ヘッドボイスって言うんですかね?)、とにかく異次元な大森さんの歌唱、

メロディも、編曲も、何もかも、

本当にこの曲はどの部分を切り取っても綺麗で、美しくて、もはや容赦がないなと思ってしまうレベルです。

 

ここで歌詞に加えてもう一つ、編曲について詳しくお話ししたいんですが、

良ければ今このタイミングで、歌以外の部分である編曲に注目しながらもう一度聞いていただければなと思います。

(もしココまで読んでくださってるどなたかが居るのなら、ですが。笑)

 

 

 

聞いてきてくださったでしょうか。

楽器隊の演奏を聞いて、どう感じましたか…?

とこの場で質問したところで、ですよね…。願わくば貴方のご意見を今すぐにでも聞きたいのですがまぁ、機会があればぜひぜひいつでも、どこででもお聞かせください。

そして、私がどう感じるかはこの下に書いておきますので、それと比べてみたりしていただければと思います。

 

この曲はクジラの話をモチーフにしている、と最初に歌詞の話を出しましたが、実は歌詞だけではなく、というよりも編曲の方にこそ色濃く"クジラ"が表れているんじゃないかな、と私は思っています。

曲の随所に音による情景描写があって、歌詞・言葉を抜いて聞いても、クジラや海を感じられる部分がたくさんあるんですよね。

聞いていて、個人的にそう感じた部分を幾つか挙げてお話ししていきます。

 

まずはイントロ、の、本当に最初の部分。ドラムのフィルから入ってますが、これが「鯨の潮吹き」のように聞こえるんです。(ジャーン! ドパドッジャーン!ってやつです(伝われ))もう少し正確に言うと「鯨が水面に飛び上がって潮を吹くようす」を表しているなぁと思いました。

派手に音を撒き散らすシンバルは、潮吹きと鯨の跳躍で水面から飛び散って大きく広がる水飛沫、

軽く高い音のスネアは、そして最小限に重く響くタムは、水面を突き破って飛び上がるクジラの巨体の動きを表しているかのよう。

一度そう思って聞くと、もうこういう風にしか受け取れないなってほど、音と景色がしっくりきてしまいました。

冒頭も冒頭からこんな具合で、演奏が始まるのと同時に私の目の前には鯨の映像が勝手に流れはじめます。さらにその後に続くイントロのストリングスも、聞いていると鯨が泳ぐ雄大で広漠な大海原が浮かんでくるようで、ここで毎度たまらず目を閉じて、私は無事、意識ごと大海へと誘われていくんです。

こう、これでもかというぐらい曲の世界観にグググッと引き込まれて始まるのが本当に最高なんですよね。

 

そこから1番のAメロ、2本のギターで重ねて奏でられるゆったりとしたリフは水中の波の揺らぎのように感じますし、2Aメロはピアノの音色(ねいろ)キラキラ輝く水面の音のようで(アウトロにも同じ音がありました)。最初から最後まで音の描写に溢れたこの曲を聴き終わったあとはいつも、一つの映像作品を観終わった気分になります。

 

 

ここで少し、前から疑問だったことがあるんですが、

これってどれぐらいの人が持ち合わせた感覚なんでしょうか?

言葉ではなくて、""を聞いて感情以外の景色や場面を想起するこの感覚は

周りの人たちからあまりこういう話を聞かないのですが、こんな聴き方する人間は少数派なんでしょうか?みんな口に出して言ってないだけで誰しも同じものなんでしょうか?

 

考えてみれば音楽の授業でクラシック聞かされてどんな場面か答える、みたいな課題ありましたし、そもそも、そのクラシックを始めとする様々な音楽は、音だけであらゆるものを表現しているものの方が多いような気もしますし

 

ん、話を戻しますが、何にせよ私はこの鯨の唄を聞くたびに、音だけで他人にこんなことを思わせることができる表現力って凄まじいなと思うわけです。

いろんな曲を聞いていても、音で場面まで感じられるものって多くないですし、やっぱり大森さんは音楽家として一つの極まった境地にいる方なんじゃないかなと思うんです。

 

彼が極まっているのは音楽家としてだけではないと思いますが。

それはまた別のお話ですね。

 

これにて鯨の唄については以上、ということで。

 

わ〜、長かった!過去最多文字数のような気がします…?

今回のこの話は他の記事のものとは違って、かなり前からずっと、ずーーーーっと頭の中にあったものなので、余すところなく納得いくように書き上げてやろうと思って推敲してたんですが、結果こんなズラズラとした文章になりました。100%!満点!とはいきませんが、まぁ、今の私の最大限はこんなもんなんだろうと思います。

 

はてさてはて…

 

もしここまで読んでいただいた方がいらっしゃるのなら、本当にお疲れ様でした。笑 

些末で粗末な文を長々と失礼しました…。そしてお付き合いいただきありがとうございました。

鯨の唄、ひいてはMrs. GREEN APPLEの魅力を少しでもお伝えできていたなら幸いです。

 

あ!皆さんからの感想とかお待ちしてますので!

なんでも教えてください!曲についてでも、この読みにくい文章の批判でもなんでも!

 

ハイ、それでは、

また次回はSoranji語り尽くし編でお会いしましょう。

(ウソです、あの曲についてはきっと言語化できないのでムリです)

 

またいつかm(_ _)m