ねっこのにっき。

思考の置き場所。

パラドックス其の弐

 

好きなものを前にすると、たいていの人はテンションが上がりますよね。

「好き」というカテゴリではなくても、一定以上「良い」と感じるものなら、見たり聞いたり触れたりすることで心が華やいで、顔が綻んで、ちょっと浮ついた状態になったり。

こういう時って、同じものに対して同じテンション感でもって、「良い」「好き」と言える人が周囲にいるのが好ましい状況だと思います。

「いいね」や「好き」を口に出して、それに「そうだね」「本当にね」というレスポンスが来る。そこには互いにルンルンな、幸せ空間が生まれることでしょう。

 

ただ、好きなものの話をした時に、いつだってそんな展開が待ち受けているとは限りません。事物に対して自他の見解が一致しないで、同じテンションになれなかった、なんて場合も当然あるでしょう。

されど、私は思うのですが、この時の不和、居心地の悪さ、どうしようもなさったらこの上なくないですか。

 

テンションが合わなかった理由が、お互い「好き」だと思っているけど想いの強さが違った、とかなら良いと思います。

「好き」だと思う者同士なら、向いている方向が同じなら、歩調を合わせればそれは楽しい会話道中になるでしょう。お互いに気は遣われども、どうしようもなくはありません。

 

私が言及したいのは、お互いに違う方を向いていた時のことです。

ある人が「好き」と思うものの話を出した後に、それが「好きではない」人間がその場に居ると発覚した途端の、あの温度差感といったらもう…。乱気流発生間違いなし、雲行きの怪しさも一気にMaxです。

こんな状況が発生してしまった時、もし仮にそのままその話題を続投なんてしようもんなら、それはそれは恐ろしいぐらいに両者間の溝が深まるだけの結果となるでしょう。

片や「好きなもの」に向かって歩き出している中、もう片方はそっぽを向いたまま振り返りもせず…。(まぁそんなことは誰しも避けたいでしょうから、大抵の場合は意見の不一致が発覚した瞬間、そこで会話が終わるか、どうにか話題を変えてその場を凌いで事なきを得る、という流れが定番かと思います。)

 

ただ、普通に個人の好みの話をしている時には、そんな温度差も異常気象もそんな頻繁に発生するものではないんですよね。人間なのだから、互いに好きなものがあれば好きでないものもそれぞれあるはずで、違う人間ならその観点は一致しなくて当たり前のことですし、そんなことは世の中の皆さんご承知なので。

実際問題、こういうどうしようもない状況というのはもっと突如として、しかも避けられないところに現れます。まるで落とし穴のように。

 

例えば3人以上でいる時、目の前に世間一般で"良しとされているもの"があったとします。分かりやすく仮定すると、お茶の間で人気のイケメン俳優とか。

目に入れば、それについて誰かが触れて話し始めるのはごくごく自然な事で、同じ方向を向く人間がその話に乗っかるのもいたって普通のことですよね。

ではありますが、実はそこに大きな落とし穴が隠されているんです。

そういう場の中にこそ、油断を誘うその状況にこそ、"世間一般とは違う見解の人間"というのが実は居て、温度差・乱気流の元凶が隠れていがちなのです。

一緒にいて、3分の2(でなくとも、複数)の人たちが1つの話題に飛びついたとなれば、その人間もそこに向かわざるを得ません。自分の好きでないものでも。

この先の展開は、きっと先に話した通り。どうしようもないものとなってしまうのでしょう。

「みんな好きだって言ってるもの」の話題を出す時が、いちばん注意をすべきところだと私は思うんです。

 

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なぜそう思うのかって、私がなぜこんな話をしているのかって…?

私自身が、その"見解の違う少数派側の人間"になりがちで、これまで「自分自身が温度差を生んでしまった」という場面に幾度となく遭遇してきたからです。笑

 

そう、そうなんです。よくあるんです、どうしようもなくなることが。居た堪れないんです。心苦しいのです…。

 

その都度それなりの対処はしているので、険悪大事故!なんてことにはなったりしたことないのですが、どう頑張ったって「完全に丸く」「全員無傷」でその場を収めるのもできたことがないんですよね。

 

自分の本当の意見を隠して、みんなに同調する素振りなんてしていたら、勘違いを生んで後々自分が痛い目を見るかもしれませんし、何よりなんかウソをついてるような気がして、心苦しいです。

かと言ってじゃあ正直に打ち明けたら打ち明けたで、先も述べたように気まずい空気を作り出すだけじゃないですか。

どうしようもなくて。笑

 

まぁなんとかその間を縫って、「空気を壊さず、但しウソを付かず」の丁度いい塩梅のノリを、年々上手く醸し出せるようにはなってきましたが、

これはこれで非常に難しいところがありまして、丁度いい塩梅を保つためには表情ひとつ動かすのにも神経を使いますし、こちらに話を振られたらもう白状するしかないのでどうしようか、とヒヤヒヤしっぱなしですし、

なんにせよ、やはりノーダメージとはいかないわけであります。

 

ウソはつきたくないけれど、バカ正直で空気を壊したくない。

 

このパラドックスをどうしたものかと、最近よく考えていたので、ここに書き出してみました。

 

昨年の秋ごろに一度、結構なレベルでどうしようもなくなってめちゃくちゃ周りの人たちに気を遣わせた場面がありまして、そのことがきっかけで、

もう少し私が機転の利く人間だったら…とか、

もっといい対処法がテンプレであるなら知りたい、と

そう思っているわけです。

 

この文を読んだ方で何か私へのアドバイスをくださる方がもし、もしいらっしゃったら、こっそり教えていただきたいなと思います。

 

 

 

さて、この話はこれにて。

思考回路のアウトプットをしたのが久々なので、読みにくいところとか分かりづらいところがあったら申し訳ありません。

 

 

 

 

わはあぁ〜、話変わりますが新生活が始まる季節ですね!!!!季節の挨拶を最後に持ってきてしまってますが!さぁあ1年間の休学というブランクを経て私は大学生活の荒波に乗り直すことができるのか!!!?

 

乞うご期待です!

もしかしたらもうココに来られないぐらい死に物狂いになってるかもしれませんね!?( ◜ᴗ◝)

 

不安だー!がーんばろ!

 

皆様におかれましても、新生活や新体制など環境が色々変わって様々あると思いますので、ご無理のないよう…。

 

では、

またいつかm(_ _)m